軽井沢犬のほいくえんVitaについて

軽井沢犬のほいくえんVitaについて

犬のほいくえんVitaの活動とあゆみ

2011年3月 軽井沢に拠点を移す
2011年4月 「出張ドッグトレーニング・ペットシッター」軽井沢ドッグトレーニングあぐ☆ぽん 創立
2014年6月 「軽井沢犬のほいくえんVita」を 設立

「犬を育てる専門家」~パーソナルストーリー~

軽井沢犬のほいくえんVita 阿部睦
犬を育てる専門家
阿部睦です。

私は、1000頭以上の犬に携わり
・吠え
・噛み癖
・トイレの失敗
・いたずら
・飛びつき
・興奮して落ち着かない
・怖がり
などの、あらゆる犬の問題を犬の行動学や行動分析学をベースとしたメソッドを使いアドバイスをさせて頂いています。

現在、軽井沢犬のほいくえんは地域の飼い主さまから親しみのある店としてご利用頂き、阿部個人としては全国の飼い主さんからのカウンセリングのご依頼が来るようにまでなっています。しかし、今でこそ先生と呼ばれるようになってはいますが私は先生と呼ばれるような立派な人間ではありませんし、ドッグトレーナーや訓練士になりたかったわけではありません。
子供の頃は酷いいじめにあっていましたし学校の先生から『言語障害かお前は?』と言われるくらい人前で話すことが苦手で、教科書を立って読むだけで緊張してしまうような子供でした。


私が犬を育てる専門家になった理由

そもそも、なぜ私が犬を育てる専門家になったのかというと「殺処分される犬たち」の動画を観たのがきっかけでした。
どうして保健所や動物愛護センターのガス室で殺処分される犬猫がこんなにも多くいるのか?と社会の問題に憤りを感じたのがはじまりでした。

私は宮城県仙台市で生まれ、子供のころからたくさんの動物に囲まれて育ち、多くの動物とのコミュニケーションをとることが多く、将来は動物がたくさんいる牧場で働きたいと思っていました。
その反面、引っ込み思案恥ずかしがり屋、内気な性格でちょっと変わった子だと言われる事もあり余計に動物たちと過ごすことが楽しく感じたのかもしれません。

ある日、小さな子犬を父が連れてきたのですが、それが私がはじめて飼った犬「チロ」との出会いでした。
当時は外飼いが普通の時代で他の動物たちは室内にいたのに「どうしてチロだけは外にいなきゃいけないの?」と子供ながらに当時は疑問で、こっそり家の中に入れて親に叱られたりしたこともありました。
幼稚園児の私は散歩ができず庭で追いかけっこをしたりして遊んでましたが、とにかく楽しかった思い出があります。

チロとの暮らしは楽しく、とても可愛がっていたのですが・・・
父親の転勤が決まってしまいます。

今の時代と比べペット可の賃貸物件はほとんどなく物件探しは難航します。
みんなで一緒に引っ越しできると思っていたのですが・・・
チロとのお別れの時が近づいていたんです。
「チロは一緒に行かなかったら、どうなるの?」
「保健所に連れていかないといけないかもな~」
と父が言ったのを今でも鮮明に覚えているのですが、それがどういうことなのか当時はわからずに一緒に暮らせないことがただただ悲しくて泣いてお別れをした記憶があります。

びっくりさせてごめんなさい。結局、チロはおばあちゃんの家で飼ってもらえることになりました。
長期休暇にチロに会えるのが嬉しくて引越し先から早く仙台に帰りたいとさえ思っていました。


流血事件2年後の冬休み

チロがいるおばあちゃんの家に遊びに行った時に事件が起こります。
大晦日に親戚が集まり「大晦日だよドラえもん」を観ながら団らんをしている中CMごとに私は走ってチロに駆け寄っていく。
何度も繰り返しそのような事をやっていると…
🐶「ガウガウガウ」
顔が血だらけで、訳も分からずワンワン泣いて痛いのとショックで病院につく頃には泣きつかれてました。
結局夜間の救急病院で顔の内側を5針縫うことに(泣)
その時の傷は痛かったし今でも口の中に傷は残っているのですが。
周りの大人が
「チロだって怖かったし、嫌だって言ってたんだよ」
とチロのことを責めませんでした。
のちの私の人生に影響を与えたことは言うまでもありません。

犬は咬む動物だと身を持って知り動物たちの気持ちを考えるように変わっていきました。
一番最初に大事なことを教えてくれたのは、チロと周りの大人だったんですね。
チロはその後もおばあちゃんの家で可愛がってもらい天寿をまっとうしました。


私の夢

その後、中学生になったある日、将来の話を父とすることがありました。
阿部 「動物が好きだから、牧場で働きたいんだよね~」
父  「牧場なんて倒産するリスクが高いし、生活ができないしダメだ。」「安定した仕事、公務員になるといいぞ」
けっこう勇気を振り絞って話をしたのですが…
あっさり返されてあ、ダメなんだと…
その時から、夢を語ることもなくしまい込んでしまいました。


恩師との出会い

月日は流れ、私は父の言う事を聞かなくなって高校も大学もふらふらと入り目的もなく過ごしていました。
卒業後は、将来独立して自分の店舗を持ちたいと飲食業の店長やスーパーバイザーの仕事をしていましたが、当時の飲食店は長時間労働で朝から晩まで仕事で動き回り1ヵ月休まずに働くこともざらにありました。
会社を辞める前は心身ともに疲れ果て結婚もしていたのですが 離婚するはめになり人生に絶望し自暴自棄になっていました。
結局体を壊してしまい次の仕事も決まってもいないのにほんのちょっとの退職金をもらい退職することになります。
生きる意味も目標も見いだせないまま私はぶらり途中下車の旅に出たりドライブに出たりして気分を紛らわせていました。
そこで出会った自然と動物たちが私に癒しを与えてくれ、自然がいっぱいの長野県もよく訪れることがあり田舎暮らしに魅力を感じのちに軽井沢に移住することになります。

そのころにたまたま観たテレビ番組に衝撃を受けます。
滝川クリステルさんが報道特集で「命の現場」というテーマで取材をされていた番組です。

この番組を見たときに憤りと無力感と何かしなければならないという想いが交錯し
「なぜこのような問題が起きているのか?」「何か自分にできることはないのか?」と行動をはじめるきっかけになりました。

東京の動物愛護団体や動物愛護センター多頭飼育崩壊現場のボランティア、保護団体の預かりボランティアなどを経験するうちに、子供の頃にチロを飼った経験はあって動物の本などは好きでたくさん読んではきたものの犬の事をよくわかってない。預かりボランティアの保護犬のトレーニングも全然うまくいかない。という状態でした。

そこで私が次にとった行動は貯金の一部をプレイボゥドッグトレーナーズアカデミーに通うことに充てます。
授業料は安くはなかったので悩みましたが、
「わたしたちは殺処分ゼロをめざします」
というフレーズに惹かれてこの学校しかないと思い通いはじめます。

殺処分になるような犬を一頭でも救って新しい家族を見つかりやすいようにトレーニングをできれば・・・
そんな想いでした。

プレイボゥの名誉校長である、故森山敏彦先生に師事し学んだことはドッグトレーニングだけではありませんでした。
犬の保育園を世の中にたくさん増やすことで社会化不足の犬を減らしていくこと。
たとえ犬の仕事であってもマーケティングは重要であること。
犬業界も日進月歩であり常に学び続けなければならないこと。
ドッグトレーナーになって最初は立派なトレーナーではなくても自分よりも知識の浅い飼い主さんの役に立てることもあるということ。
を森山先生に教えて頂きました。

今思うと森山先生に出会い背中を押して貰えなかったら犬の仕事を始めようと決心することはなかったと思います。
当時はなんとか殺処分になるような犬を少しでも減らしたいという想いだけでしたが…
保護活動をしながらできるドッグトレーナーの道を歩みはじめます。
しかし、保健所から出てきたばかりの犬というのは問題も様々で人を怖がるようになっている犬、威嚇をしてくる犬、他の犬とけんかする犬、情緒的に不安定になってる犬、ものすごくテンションの高い犬、ガウガウ咬む犬
などなど
トレーナースクールでは教わらなかった事や、本のどこにも書いていないような事が多く上手くいかないことばかりでした。
自分には無理なんじゃないか?
と弱気になり諦めそうになることもありました。

基礎と実践、同時にはじめたのでスタートしたばかりの私が上手くいかないのも当然と言えば、当然でした。

その後、軽井沢に移住し保護活動をしながら、ペットシッター、ドッグトレーナーの仕事をはじめます。
軽井沢は観光で来たことはありましたが、友人も知人も全くいない縁もゆかりもないところでまったくのゼロからのスタート🤗
当然仕事がすぐにあるはずもなく動物保護にかかわる場所をくまなく歩いて自分に出来ることはないかと探し回る日々でした。

アメブロやfacebookで保護犬の情報発信するのをはじめたのもこのころからでした。

情報の発信手段ができ、軽井沢に住みながら他の地域の方とも交流することで、殺処分になる犬猫の問題を通じて、この地域にも知人が少しずつできるようになりました。
仕事の方はさっぱりでしたが、ある保護団体さんと一緒に活動をすることで、たくさんの保護犬と触れ合い、勉強をする機会を与えてもらうことになります。

毎日朝晩の保護犬のお世話、お散歩、病院への通院、保健所とのやりとり、シャンプー、譲渡活動、譲渡会の開催、ボランティアさん募集
などが日課になっていたのですが、それをやりつつペットシッター、ドッグトレーナーの仕事もぼちぼち入ってくるようになってきます。

軽井沢で最初から犬の仕事で生活ができていたわけではなく、「保護活動の阿部さんですよね」と言われることの方が多かった感じです。 

しかし、いつまでもボランティア活動ばかりでは貯金も底をついてしまいます。
いよいよやばい。 
これでは生きていけないと積極的に仕事もやりはじめます。
今思うともっと早く仕事やれよという感じですが(汗)

お金もないのでお金をかけずにできる集客を一生懸命やりました。
軽井沢の244頭多頭飼育崩壊現場への介入を境に、ボランティア活動は休止することにしましたが、この活動をしてきた結果が様々な保護犬や人との出会いにも繋がりそれがかけがえのない財産にもなったと思っています。

HPと口コミだけで3年目には自然とお客さんがくるようになってちゃんとした仕事になっていました。
最初は仕事も暇でしたし、東京や大阪でのドッグトレーニングのセミナーに参加したり。
今では日本でも有名になったデンマークの動物行動学者ヴィべケ・リーセ先生の日本初開催のセミナーにも半年間通いました。
3年目までには貯金がほとんどなくなっていましたけどね・・・


嫌悪刺激や叱りも使わない、応用行動分析学との出会い

保護活動をしていたおかげで、さらに新しい学びを得る機会もありました。
山本央子先生との出会いです。
山本先生は、アメリカで活躍された問題行動のスペシャリストです。
日本のドッグトレーナー業界に応用行動分析学をおそらくはじめて取り入れた先生であり、全国各地での講演をされていてAFC(アニマルファンシアーズクラブ)やヤマザキ動物専門学校や帝京科学大学の講師をされています。

保健所などの公営の保護施設でも捨てられたワンちゃん達に人の温かさを伝え、京都市の保護施設では譲渡犬の戻り率0%を誇るなど、素晴らしい活動をされている先生なんです。
そんな方と軽井沢で保護犬たちと毎日お散歩ばかりしていた私がどうやって知り合ったかというと、たまたま山本先生が、軽井沢で犬の合宿をすることになり、保護犬と一緒に参加できる人はいないかと探されていて、紹介を通じて参加させて頂くことに。

超ラッキーでした。
ご縁があり軽井沢犬合宿に毎年参加させて頂くことになりました。

そこで学んだことは嫌悪刺激を一切使わない方法で、毎日保護犬たちに実践することで勉強にもなりました。
しかしこれもすぐにうまくできるようになったわけではなく自信喪失することも度々ありました。
上手くいかないと人間イライラもしてしまいますが、それを抑えて無心になって目の前の犬たちと取り組むことを続けていかないといけません。
トレーナーに必要なことで、安定した心の在り方も学ばなければいけないのだと実感してきました。
精神面ではほんとうに禅でも学びに行った方が良いのではと思う事さえもありました。 

頭では解っていても、実践してもそれが上手くいかない。
だからこそ、上手くやるためには目標とする先生が必要です。
学んだことを繰り返し実践し、改善をすること続け、犬に失敗をさせずに成功に導く方法を、修行のように実践し、毎年毎年合宿に参加するたびに基本を復習させて頂いて上達してきました。

山本先生がいつもお話されていることがあります。
「目の前にいる犬たちが先生」
目の前の保護犬を譲渡できるようにトレーニングをしたり、お世話をしたりという事で経験を積むことで自信にも繋がりました。
今でも目の前にいる犬たちが先生であり、常に学びであるという意識で向き合っています。


軽井沢犬のほいくえんVita開園とさらなる問題

山本先生との出会いもあり、嫌悪刺激を使わないトレーニングを軽井沢の家庭犬の犬たちにも広めていきたいと軽井沢犬のほいくえんVitaを開園することにします。
犬の保育園の事業は順調で、ほかのエリアにも拡大していこうと思った矢先・・・
問題が発生します。
それは・・・
動物アレルギーと喘息発作
私一人ではもう犬の仕事を続けていくことはできなくなってしまいました。
もうちょっと頑張りたかった。
子犬の社会化をできる場をもっと広めていきたかった。
病院の先生に言われたのは
「アレルギーは甘く見てると、呼吸が出来なくなって死ぬよ」
でした。

これはおどしではなく
本当の事だと思いましたし、実際に猫や鳥のペットシッターをすると呼吸が苦しくなることが今までもありました。
まだ続けたいし、でも無理をしたらどうなるか?
葛藤がありました。

そして出した答えは、新しい事業をすること。
体罰も叱りも必要のない犬の育て方を全国の飼い主さんやペット関係の事業者さんに伝えていきたいと情報発信することからはじめています。

最終的な目標は、行き場のなくなった保護犬たちのリハビリ施設を作ることです。
リハビリして社会復帰できる保護犬は譲渡をして家庭犬として幸せに暮らす。
日本中に体罰も叱りも必要のない犬の育て方が常識になるまで情報発信を続けていくことです。
これが私のミッションです。


最後に

ということで長くなりましたが、私が伝えたいことや、何を考えて生きているかをぼんやりと感じることができたでしょうか?
Facebookページ、You Tube、LINEでは、何かきっかけになるような情報を発信できるように私自身もさらに進化し続けながら精進していきますね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

阿部 睦